卒業生の証し


■あなたの道を主にゆだねよ

後藤 真英 (2011年度入学生)

 母親がクリスチャンで、生まれた時から教会に行っておりました。洗礼は小学校五年生の時です。教会は北九州復興教会でした。中学校一年生の時に、家族で埼玉県吉川市に越してきました。吉川教会に出席することになりましたが、この教会は東京聖書学校のある教会でした。祈祷会などで良く神学生が証しをしていました。献身ということもおぼろげに考えるようになりました。
 夏のユースバイブルキャンプの時に、決意の時がありました。参加二年目の時です。私は献身の場に出て行きました。「召命の言葉を握りましょう」と先生が言われたので、祈りましたら、ヨハネ12:36の言葉が浮かんできて、これが召命の言葉と信じました。
 昨年は、高校三年生でしたが、牧師先生にお願いして、一年間、教会献身の訓練の時を持ちました。早天祈祷会から教会のすべての集会に出席。出来る限り、奉仕もしました。苦しい時や不安な時もありました。しかし、「あなたの道を主にゆだねよ」とのみ言葉が与えられ、ついに献身の道に導かれました。足りない者のためにお祈りください。

(後援会会報 No.46 2011.7.1. より)


■恐れるな、わたし

山口 紀子 (2009年度卒業生)

 私は小心者です。新しい世界に踏み出す時はいつもドキドキして、思いつく限り自分に出来うる準備をせずにはいられません。 しかしそれで安心するかと言えばそうでもなく、色々想定しすぎてぐったり疲れ果てるのです。 そんな私を全て知り愛していて下さる主は、憐れみ深く今回もみ言葉を下さいました。 「恐れるな。語り続けよ、黙っているな。あなたには私がついている。誰もあなたを襲って危害を加えるような事はない。 この町には、私の民が大勢いる。」(使徒18:9、10) 私は何を恐れていたのでしょう。何のために出て行くのか目的がはっきりした時に、自分の小ささにおののくよりも福音を持っている 人たちに早く会いたい気持ちが勝るようになりました。 2年前のある朝、早天祈祷会で先生とペアで祈る機会がありました。「(卒業後)教会に遣わされるという恵みに与る事が できますように。」忘れられない祈りです。 宣教は、「ねばならぬ」というより、私自身が「恵みに与る」事。ちょっとワクワクしてきました。

(後援会会報 No.43 2010.3.1. より)


■感 謝

中西 絵津子 (2009年度卒業生)

主の真実に支えられ、大きな祈りの輪の中で 私たちは守られ、育てられた  このことを忘れまい聖徒たちの愛の業に いつも私たちは慰められ、励まされた  しばしば心に問うた、そのことを忘れまい   ・・・受けるに値しない者に、なぜ     こんなによくしてくださるのか・・・ この世の何ものでもなく  「教会」に仕えるために送り出され 主ご自身が嗣業となる  その喜びと、畏れと、誉れ「測り縄は麗しい地を示し わたしは輝かしい嗣業を受けました」ダビデのように、私も主を讃えよう そして麗しい地で、共に嗣業を受け継ごう 受けるに値しない者のために  命を捨ててくださった、主イエスご自身を

(後援会会報 No.43 2010.3.1. より)


■献身の底力・聖書学校

亀井 瞳 (香川教会牧師)

 詩編37:4の御言葉に召し出されて献身し、香川教会での3年が過ぎました。聖書学校の学びが伝道牧会、また自分の信仰の基礎となっていることを本当に感謝します。その中でも大切な学びをあげます。

 @説教学:説教とは何か、それを学んだ上での演習と批評が大変重要です。一回一回の御言葉の取つぎが教会の命となり、伝道また愛する力となるからです。毎週保育園児に語ることは重大な責任でありますが、恵みです。ごまかしのない説教、生き方においての証が求められます。

 A寮生活:早天祈祷会から始まる一日は、主を第一とする生活、主がすべてを治めたもうことを表しています。密室の祈りなくして牧師の務めはありえません。事務・集会の奉仕・企画作業などは、教会に仕える信仰と力を養います。香川教会のように少人数の教会は奉仕のほとんどを牧師が行うので、本当にやっておいてよかったと思います。また、生活習慣や経歴の違う2人が同じ部屋で生活する中で自分の弱さや罪が露呈し、悔い改めて愛し合う訓練となります。

 B聖書神学:教会だけでなく教会を母体とする保育園でご用をしていますので、聖書全般からの質問がいつも寄せられ、その場でわかるようにお答えしなければなりません。神学は説教の骨格ともなりますので、聖書を一本貫く線は何か、現場に出ても学び続けることが欠かせません。

 香川教会の毎日は、礼拝を中心に、教会に遊びに来る子どもたちやボランティアで知り合う近所の方などに伝道牧会を続けています。教区・分区の伝道応援(島しょ部の礼拝説教)もしています。自分のやる気や知識だけで牧師を続けることはできません。主の僕として主と教会と地域に仕え、日々聖霊の満たしと潔めをいただけるよう祈るものです。


■御手の中で

2006年度 東京聖書学校1年生 吉武真理(広島教会出身)

 私は、就職して三年目に膠原病との診断を受けました。恐れと悲しみで心が一杯になり神様を求めました。様々な症状が出てくる中、何とか前向きにと目一杯頑張っていたのですが限界がきて、自分が弾けて粉々になりました。感情が噴き出し激しく泣き続け、神様に向かいました。神様は祈りに耳を傾けて聞いてくださるという事が慰めでした。

 状態が最も悪くなった時、意識の深いところで、どの瞬間にも神様が私と一緒にいて下さり、苦しみも痛みも涙も神様は抱え込む様に受け止めて下さっている事、全ては神様の御手の中にあることを実感し感謝で涙が出ました。

 私は何も持たずにこの世に生まれてきて、多くのものを神様から与えられていることにも気づかされました。病気も神様から与えられたのだと思いました。私は必ず死ぬ存在であり、この与えられている命をどう生きたいのか・・・神様の御用の為に使っていただきたいという思いはそんな中で与えられました。その後、数年間かけて少しずつ体力が回復し、その間献身の思いを胸の内であたため、この春入学に導かれました。

(後援会会報 No.36 2006.7.1. より)


■主の御手を握る

2006年度 東京聖書学校2年生 野口佳男(五香教会出身)

 「私と結婚したかったら教会に一緒に来てネ。」私は妻の言葉に従い、初めて教会に通った。なんと素直な、いや下心の固まり、ああ恥ずかしい。期待の甘い新婚生活も、日曜日になると妻は決まって教会に行く。1人ぽつんと残されるのは予想以上に寂しい。数週間後の教会には妻の隣で賛美歌を歌う私がいた。親子三人暮らしになって「もうそろそろ潮時かな」と受洗を決意。決して大きな出来事があったわけではない。説教を聴いた初日から、神様の存在を信じられたのは真に不思議、感謝である。妻の出産と長女の病気、本気の祈りに主は応えて下さった、これも感謝である。そんなこんなで受洗した。今の私が在るのは妻との出会いがきっかけ、全ては主のご配慮である。胸ときめかせて初めて握ったあの時の妻の手が、主の御手であったと知らされたのは、献身を決意した時である。主に感謝。